6/1に、軽いがこじれたうつ病と言われ、
7月に安静療養のためにと半強制的に規制させられ、
月末に過敏成長症候群を再発し、
体調を著しく悪化させて帰浜して、
まる2か月半寝たきりの生活でした。
7月、郷里の母の住む家は梅雨のさなかで肌寒く、
持っていたカーディガンが役に立ちました。
晴れたり曇ったり土砂降ったりの日々で、
日々、自室(客間)の前の朝顔が咲くのが楽しみでした。
ですが、日に日に悪くなる体調に耐えかねて、
病院に電話したりもしましたが、
先生には取り次いでもらえませんでした。
速達で窮状を伝える手紙を書いたら、
「すぐに戻ってきなさい」
と、電話がありましたが、
飛行機のチケットが取り替えのいかない格安切符だったので、
毎週、病状を伝える手紙を先生に出しながら、
なんとか乗り切りました。
母の家にいる間、何度も首に紐をかけました。
弟らと祖父の郷里へ墓参に行った際も、
伯母宅へ向かう弟らと別れて一人バス停で帰りのバス待つ際、
昔、祖父母と墓参に来たときのことを鮮やかに思い出し、
亡くなった二人や大好きだった父に会いたくなりました。
ここで首を吊りたいと思いましたが、
すぐにバスが来てしまいました。
泣きながらずっとお墓の方向を眺めていました。
バスターミナルに着いて、
以前住んでいた生家跡を見に行きたくなりました。
今は、建物も取り壊され、
近所の老人福祉施設の職員用の駐車場になっています。
更地になると、土地というのは不思議なもので、
建物が建てっているといきよりなぜか狭く見えます。
森のように木々の茂った庭も更地になって、
子供の頃、駆け回って遊んだ庭もアスファルトが敷き詰められ、
2頭の大型犬を放し飼いにしていた庭も、
こんなに狭かったっけ?って感じでした。
死んだらここに埋めて欲しいって思ってたのになぁ・・・と思いました。
昔飼っていた動物たちの亡骸は皆ここに埋まっていました。
亡くなると庭の隅に埋めて、祖父と一緒に般若心経をあげていました。
表に回って通り(細い路地ですが)を歩いてみましたが、
相変わらず人通りのない路地で、
だれも見知った人には会わなかったので、
そのまままた郊外に住む母の家に戻りました。
父の法事(八回忌)も済ませ、お盆(七月)も済ませ、
SLに乗って、DASH村のような里山に住む伯母の家にも行き、
かつてうちにいたGレトリーバーのお墓参りもし、
(実家を手放した時、伯母宅に養子に出しました)
祖父の郷里にある墓参もし、かつての実家も訪ね、
もう思い残すことは何もないようにように思われました。
母の家に戻るバスの中は何だか虚しさでいっぱいでした。
7月下旬になり、帰浜する日がやってきて、
やっと戻れると思いました。
母と2人きりの生活は本当に気疲れし息の詰まるものでした。
虎の子のお金を貸してくれて、優しく見守っていてくれているのに、
罰当たりな娘です。
飛行機に乗り、羽田に着いたときは本当にほっとしました。
平日にも関わらず、羽田には彼氏が迎えにきてくれていました。
「お疲れさま」と言われました。
こんなに何度も、本気で死にたいと思ったのは初めてでした。
病気のせいとはいえ怖いです。
本当に死にたいわけではないのですから。
羽田から直接、彼氏の家に行き、週に1〜2度自宅に戻る日々です。
自室のクローゼットは梅雨時期のままの服ばかりです。
寒がりの私としては薄手のセーターを引っ張りだしたいくらいです。
今も時折死神さんが出てきます。
事故死のニュースを耳にすると不謹慎にも「いいなぁ」と
思ったりすることもあります。
子供の頃からの独自の信条で、自死した人は天国へは行けず、
餓鬼・畜生のいる地獄におちて、
先に亡くなった懐かしい人たちには会えないと信じています。
仏教徒的背景があると思います。
たくさん徳を積めば輪廻の輪から外れ、天上界へ行け、
足りなければ、足りない何かの使命を負って、
また誰かに生まれ変わり今生界に送られてくると思っています。
私の使命は、家族をまとめて守ることだと思っていました。
父に「お母さんを頼んだよ」と言われていました。
「もし自分が死んだら、主治医を医療過誤で訴えろ」とも言われていました。
裁判の件は幼なじみのご主人が医療過誤を扱う弁護士さんなので、
相談しましたが、前回の手術ミスのときなら簡単に勝訴できたが、
今回は立証するのが難しく、10年〜20年かかっても、
勝訴できないかもしれないと言われ、断念しました。
せめて母にだけは苦労かけないようにと、
父が母にやってあげていたこととかけ離れないようにと、
必死で働きました。
本当にやりたい住宅の仕事を諦めて、
派遣で残業もひと月200時間以上頑張って働きました。
父の死後、生活費が足りないという母に毎月仕送りをし、
夏や正月に弟一家が帰省する際は、余分に送ったりしていました。
自分の欲しい物は極力後回しにしました。
テレビも壊れ、炊飯器もありません。
今回、母の家にいったら、
思った以上にリッチな暮らしをしていました。
薄型の大型液晶地デジテレビがあり、地デジ対応の録画機も、
高価な加湿器もありました。
台所と母の寝室にもテレビがありました。
本当は全居室にテレビと録画機を置きたいのだと言っていました。
食事も、家事全般が苦手な母は買ってきたお惣菜が主で、
一日おきに弟の友人が魚の移動販売でやってきてくれるので、
一日おきに高級魚のお刺身がてんこもりに出てきました。
私が帰ったから特別だったのかもしれませんですが、
でもちょっと食費をかけすぎているように思いました。
私がまた健康を取り戻したら、借金返済のほかに、
再び仕送りをするかはちょっと考え中です。
いじわるでしょうか?
でも、何より早く治すことが何よりの孝行ですよね。
こじれていて、
その上、副作用が強すぎて最低量しか処方できないので、
治療には時間がかかるそうです。
借りたお金が底をつく前に、フルタイムで働くことができるようになるでしょうか?
この業界のフルタイムは9時(もしくは8時)〜終電までを意味します。
残業代は「込み」で、普通の人の基本給程度です。
労働基準法に守られない職種です。
考えると不安で押しつぶされそうになるので、
お医者さんの言うように、必死で寝ています。
タイムリミット(社会復帰)はあと約1か月です。